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長野地方裁判所松本支部 昭和39年(わ)141号 判決

被告人 奥山敏雄

大六・五・一三生 土工

主文

本件公訴を棄却する。

理由

本件公訴事実は

被告人は昭和三十九年九月十二日午後一時頃松本市大字和田千七百八十七番地の一松本市役所和田出張所において些細なことに腹を立て同出張所の窓硝子四十七枚(時価九千九百四十円相当)及び隣接している和田農業協同組合事務室の窓硝子八枚(時価三千五百四十円相当)を所携の洋傘や石をもつて叩き割りもつて器物を損壊したものである。

というに在つて右の事実は刑法第二百六十一条に該当し同法第二百六十四条に依り告訴を待つて論ずべきものと認められる。よつて本件公訴提起について適法な告訴があつたか否かを以下順次判断する。

先ず松本市役所和田出張所庁舎窓硝子を損壊した事実については、同出張所長北原徹の司法警察員に対する告訴調書に依れば、北原徹は昭和三十九年九月十二日の右出張所庁舎窓硝子四十六枚を破壊された事実を同日午後零時五十分に認知し、同日司法警察員に対し之を陳述して厳重処分を求める意思を表明したことを認めることができる。ところで右被害の事実について松本市役所和田出張所長が告訴権を有するか否かを考えるに、此の場合告訴権行使の態様としては第一に同出張所長が固有の告訴権を有するかどうか、若し有しないとすれば第二に同出張所長は松本市長から特別の委任を受けているかどうかの二点に分けることができるであろう。

そこで第一の点であるが、凡そ普通地方公共団体に属する財産に対し損壊が行われた場合には、告訴権を有する者は、その公共団体を代表する者即ち本件においては松本市長であることは地方自治法第百四十七条、第百四十九条等の規定に依つて明らかであると共に同市長において同法に基いて和田出張所長に対し同出張所庁舎について維持、保存及び運用等いわゆる管理権を分掌させることを定めた場合には同出張所長はこの管理権に基いて当然告訴権を有するものと解すべきである(昭和三二年一二月二七日東京高裁判決高裁刑事判例集一〇巻一二号九四四頁参照)。然るに証人上村長の当公廷における供述に依れば、松本市長は未だ和田出張所長に対し同出張所庁舎の管理権を分掌させる旨を定めていないことが明らかであるから、同出張所長は出張所庁舎の管理権を有することを前提とした固有の告訴権を持たないものと云わねばならない。

次ぎに同出張所長は松本市長から特別の委任を受けその代理人として告訴をなす権限を有していたかの点であるが、右上村証人及び証人北原徹の当公廷における各供述、同証人の検察官に対する供述調書に添付された松本市長降旗徳弥名義の昭和三十九年九月十二日付松本市訓令甲第十八号の文書の写を綜合すれば、右出張所庁舎窓硝子損壊事件発生当日同出張所長たる北原徹から松本市役所に対し被害顛末等の電話報告があり之に基いて右市長名義の文書が即日同出張所長宛に発せられたが、その到達したのは同月十四日であることを認めることができる。尤も右文書の上部に押捺された和田出張所名義の受付印の日付は同月十二日となつているけれども、之について北原証人は事件の発生したのが十二日であつたし又事務処理上便宜と思いそのようにした旨を述べているので此の受付印の日付に依つて右文書の和田出張所長えの到達を十二日とすることはできない。

更に同証人及び証人上村長は当公廷において右文書到達以前である同月十二日和田出張所長からの電話報告に対し告訴のことを含めて一切の措置を同出張所長が市長の代理として為すべき旨の指示が与えられた旨を述べているけれども北原証人は当公廷において松本市役所から委任状を送る旨の指示を受けたのは同証人が司法警察員に対し被害事実を申し述べた後のことである旨を述べているので之に前記文書が発せられた事実を合せ考えるときは、同証人が和田出張所にかゝる被害事実を司法警察員に述べて処罰を求める意思を表明した時点迄に、同証人に対し松本市長から告訴権の行使について代理する権限を付与されていたとは到底認めることができない、結局和田出張所長たる北原徹の司法警察員に対する告訴は右述べたいずれの観点からも権限なくして為された不適法のものであり無効であると云わざるを得ない。

更に和田農業協同組合事務所窓硝子を損壊した事実については同組合の総務課長である神沢文男の司法警察員に対する告訴調書に依れば、神沢は昭和三十九年九月十二日の右窓硝子八枚を破壊された事実を同日午後零時五十分認知し、同日司法警察員に対し之を陳述して厳重処分を求める意思を表明したことを認めることができる。ところで証人大槻杢十の当公廷における供述に依れば、右組合の組合長は組合を代表し、組合に属する建物を管理する権限を持つていることが明らかであるから同組合長は当然前記被害事実について告訴権を有する訳であるが、当裁判所の取り調べた同組合長大槻杢十名義の司法警察員に対する告訴状と題する書面の日付は同月二十一日となつており、同書面の上部に押捺された松本警察署の受付印の日附も亦同日付となつているから、右告訴は本件の起訴された同月十九日(此の点は記録に編綴された起訴状に押捺の当裁判所の受付印の日付から明らかである)以後であり、従つて右起訴のための適法な訴訟条件とはなり得ない(告訴の追完は許されない)。

そこで同組合の総務課長たる神沢文男の為した前記告訴が有効であるかどうかを考えて見るのに証人大槻杢十の当公廷における供述に依れば、同組合を代表する権限は組合長に専属し、その差支ある場合には専務理事が、又同理事にも差支があるときは、職員たる総務課長がいずれも組合長の名義を用いて組合の事務を処理する権限を与えられているに止まり、当然に組合長を代理する者ではないと認めるべきものである。尤も神沢文男の検察官に対する供述調書には、同組合の総務課長は組合長不在で而も緊急を要するときは組合長を代理する慣例になつているので前記窓硝子の損壊の発生したときは、急を要するものとして同課長が組合長を代理して告訴した旨の記載があるけれども、組合長たる証人大槻杢十の前記供述と対比し之に総務課長が組合の職員(使用人)であり而も農業協同組合法上その地位、職責について特別の規定が設けられている者でないことを考え合せるならば、総務課長が組合長差支の場合に、仮令急を要するとしても、包括的に組合長を代理する慣例があつたとは解し難い。勿論組合長が総務課長に対し、個別的に或る事項について代理することを委任することは差支ないから告訴権の行使を代理することも不可能ではないけれども、和田農業協同組合事務室の窓硝子の損壊の被害事実について告訴権を代理行使する権限を本件公訴提起に至る迄に同組合長から総務課長たる神沢文男に付与した事実は証拠に依るも認めることができない。従つて同人が本年九月十二日司法警察員に対して為した右被害事実の陳述及び処罰を求める意思の表明は結局代理権なくして行つたものであるから適法な告訴とはいわれない。

果して然らば松本市役所和田出張所庁舎窓硝子の損壊及び和田農業協同組合事務室の窓硝子の損壊の各被害事実については、本件公訴提起の時点迄にいずれも適法な告訴がなかつたことに帰着する訳であり従つて右公訴提起の手続は訴訟条件を欠き、規定に反したため無効であると云わねばならないから、刑事訴訟法第三百三十八条第四号に則り本件公訴を棄却すべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 菅野保之)

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